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ガラス管の歴史

オットー・ショット

19世紀後半、ドイツでこれまでのガラス製品の歴史を変える、「ホウケイ酸ガラス」が生み出されました。
発明者の名はオットー・ショット、SCHOTT社の創設者の一人です。彼がホウケイ酸ガラスを生み出す以前は、ソーダライム系のガラスが主流で、耐久性が弱く、少し熱を加えただけで割れてしまう、ということも頻繁でした。
まさに、ホウケイ酸ガラスの誕生は、ガラスそのものの考え方を覆す大発明だったのです。
こちらでは、ガラス管の歴史についてご紹介いたします。SCHOTT社がどのようにガラス管の歴史を変えていったのかを、ご覧ください。


古代から今に伝わるガラス

ガラスは、約5,000年も前に人類の手によって生み出された物質です。
現在では、住宅に光を取り入れるための窓ガラスや、グラスやお皿などのガラス食器、テレビのモニタやカメラなどに使われる専用ガラス、電球や蛍光灯に用いられる照明ガラスなど、様々なものに使われており、もはやガラスは私達の生活になくてはならないものとなっています。

ソーダライム(石灰)ガラスとは

日本において、年間約500万トンのガラスが生産されており、そのうちの8割がソーダライムガラスと呼ばれる種類です。
ソーダライムガラスは、75%のシリカと10%のライム(石灰CaCO3)、そして15%のソーダ(Na2CO3)から構成されています。
シリカは非常に融点が高いため(融点1,723℃)、ソーダを加えることで融点を抑え、ライムを添加することによって、耐久性の高いものに仕上げる事により、一般的用途に広く使用されています。

ガラスの定義

存在するほとんどの物質は、高温で熱することで液体となり、冷却することで結晶となります。しかし、まれに冷却しても結晶化せず、粘性を増して固体化する物質もあります。
それらのように結晶化せず、凝固する状態は「ガラス状態(glassy state)」と呼ばれ、このような性質を持った物質を「ガラス」と呼んでいます。
ガラスは、液体のように透明で、方向性を持たないという特徴を持っており、また、ASTM(アメリカ材料試験協会)では、「ガラスは結晶化せず、固い状態になるまで冷却された融解無機物」と定義しています。

ホウケイ酸ガラスの登場

新しい組成のガラスとして、19世紀にドイツで誕生したのが「ホウケイ酸ガラス」です。
ホウケイ酸ガラスは、酸化ケイ素と酸化ホウ素の形成酸化物を含有しており、高い耐熱性や化学的耐久性から、身の回りの耐熱食器や理化学器具など、様々な場所に用いられています。

ホウケイ酸ガラスは、ガラス職人のオットー・ショットと、物理学者で設計士のエルンスト・アッペの手によって生み出されたものです。
そもそも、彼らは光学ガラスの生産に携わっており、機械工業に携わっていたカール・ツァイスと共に、顕微鏡や望遠鏡、双眼鏡といった光学器械の発展にも尽くしていました(現在でも、「カール・ツァイス社」は、一流の光学器械メーカーとしても知られており、特に日本では優秀なレンズとして愛好家の間で有名です)。

19世紀後半、彼らはそれまでガラスには用いられることのなかった、酸化ケイ素と酸化ホウ素を使用することで、熱衝撃に強く、化学的耐久性に優れたホウケイ酸ガラスを誕生させました。
さらに、彼らはホウケイ酸ガラスの開発を続けることで耐熱・耐酸性を持った理化学用ガラスや、低膨張の耐熱ガラスなどを生み出し、ドイツのエナグラスとして名を馳せました。

SCHOTT本社この耐熱ガラスは、当時発明された「白熱ガス灯」のホヤ(ガラス筒)として用いられました。ショット社はこの需要に対応するため、ホウケイ酸ガラスの専門工場を建立しました。「白熱ガス灯」は、内部に高温の灯をともし、時として風雨により外部から急冷される条件のため、従来のガラスでは到底対応できるものではありませんでした。
1899年には、日産3万個ものホヤを生産し、1903〜2004年にはホウケイ酸ガラスが、ショット社の売り上げの7割以上もを占めるようになったのです。